1919年、北京で裕福な官僚の両親のもとに生まれた呉家祥は、幼い頃から父親によって織物の世界に進むことが決められていた。しかし、1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発すると、呉は愛国心から軍隊に入隊し、舞台芸術への愛情を見出すことになる。
そして、『父と子』でついに監督になる夢をかなえた。1965年、監督と俳優の契約を結び、ショウ・ブラザーズに入社した。このスタジオの支援のもと、『Gun Brothers』、『Dark Semester』、『The Price Of Love』などの映画を監督した。
70年代にショウ・ブラザーズを去った後、ウーは『パタヤの春』の1作のみを監督し、1993年に74歳で死去した。
(出典:HKCM)