山本は、1910年7月15日、鹿児島県に生まれた。早稲田大学を中退して松竹に入社し、成瀬巳喜男らの助監督を務める。成瀬がPCLに移った時に従い、東宝に生まれ変わってからは自らも監督となる。第二次世界大戦中は、日本共産党の熱烈な党員でありながら、同社の戦争プロパガンダ映画を数本監督し、戦後は、日本共産党が大きく関与した1948年の東宝労働争議で組合の推進役として反社を訴え、最終的に解雇された。
その後、自主映画で、強烈な反骨精神と実質的な社会派作品を多数製作。1960年代以降、山崎豊子原作の『象牙の塔』『パーフェクト・ファミリー』、『男と戦争』3部作、『子守唄』などの大作を次々と監督する。これらの大作は「赤いセシル・B・デミル」と呼ばれるに至った。
白い巨塔』『風雲児たち』『あゝ野麦峠』の3作で毎日映画コンクール優秀作品賞を受賞した。
1983年8月11日、膵臓癌のため73歳で死去。
自伝『My Life as a Filmmaker』(ミシガン大学出版、ISBN 978-0-472-0733-7)では、自身のキャリアと遺産を振り返っている。 ( 出典:Wikipedia )