山路ふみ子は、兵庫県神戸市長田区出身の女優、実業家、社会起業家である。
森高校在学中の1930年、神戸新聞社主催のミス神戸に選出される。同社に入社し、「時代の反逆児」で映画デビューを果たす。
帝国キネマから日活に移籍後、再び新光キネマに戻り、主演女優として多くの作品に出演し、映画主題歌も数曲録音した。また、日産自動車、ウテナ化粧品などの広告モデルも務めた。
戦後は、映画「暁の国に咲く」(1949年)への出演を最後に映画界を引退し、東京都港区芝公園で母親とレストラン「山路」を営む実業家に転身した。1964年、母の目の病気で店を閉めた後、当時の日本の医療機器では母の目の病気を完治させることは不可能だったため、土地と建物を売却した。手に入れた私有地のうち、半分以上は “日本の科学の発展に寄与する “ことを目的に設立された「山路ふみ子自然科学振興財団」の基金として活用された。
1963年、東京都より銅賞を授与される。1972年、藍綬褒章を受章。
1930年代に自家用車を所有し、運転免許を取得して運転した数少ない日本人女性ドライバーの一人である。