元々、本名の緒方邦子で地元のジャズ喫茶の歌手として活動していた。その後、1966年、16歳の時にスカウトされ、藤邦子名義でTBS系「サタデー・タイガー」に出演、1967年、東芝レコードより「live in love the days of limited」(この時の名義 本名の緒方邦子でレコードデビューを果たす。1968年に和田弘、マヒナスターズとのデュエットで発表した「私はダメな女」が50万枚のヒットとなる。しかし、ソロではヒットに恵まれなかった。
1973年、CBSソニーに移籍。堺正章のプロデュースのもと、芸名を「内田明理」に改める。山本寛斎の衣装で、上村一夫をジャケット画に迎え、大型プロモーションと掛け合わせた「都会の浮世絵」が7000万枚の大ヒットを記録。その後、「浮世絵の街」が映画化されると、彼女も主演を務める。1974年発売の「献花」は、1967年に尾形邦子名義で同タイトルのシングルが発売されているが、同じ歌手による全く別の曲というのは珍しいケースである。
1989年、奇抜な衣装と妖艶さを存分に表現した「情欲一代女」が話題となり、久々のヒットを記録。同年、この曲は「日本レコード大賞」最優秀歌唱賞を受賞している。
その後、女優としての活動が増え、映画やテレビドラマを中心に活動していたが、1999年に本格的に歌手活動を再開すると。