鹿児島県鹿児島市に医師・文庫の6人兄弟の長男として生まれる。早稲田高等学院を卒業後、1923年に渡米し、エル・グレコの絵を見て旅費を節約するためにスペインに渡る。1927年(昭和2年)に帰国。左翼劇団の美術部員から俳優になり、同年に佐々木孝丸、村山知義の前衛演劇、1928年に東京左翼劇場、1934年に新協同組合劇団に入団した。1938年、木村外二監督の映画『季節の話』で初舞台を踏む。
戦後は舞台で胸を打ったため肺病を患い、療養所生活を送る。この間、劇団民藝に参加し、1953年、民藝と近代映画協会の共同制作による『夜明け前』で療養所から撮影所に出向き、端役を演じた。
舞台では「漁港」「審判」に出演し、61年「檻」で芸術祭奨励賞を受賞。1977年「煙草の害について」で演出。この珍しい老人役は独特の味わいがあった。
肺炎のため87歳で死去。