群馬県富岡市七日市生まれの俳優、エッセイスト。戦前の芸名は本庄勝治。長男は俳優の遠野英心。旧富岡中学校卒業後、明治大学商学部に入学。在学中、学内の違法サークルや社会科学研究所に所属し、左翼思想に目覚める。 1931年4月、劇団築地神社プロレタリア演劇研究所に第一期生として入学し、「恐山トンネル」で初舞台を踏む。東京左翼劇場にて。同学院卒業後の同年9月、新造劇団に入団し、プロレタリア運動に携わりながら、本庄勝治の芸名で端役として舞台に立つ。 1939年『道』の漢字などで大活躍。 『海援隊』の真之助、劇団総書記、企画部長、劇団部長代行を歴任。 1940年8月19日、八田元雄、池田正治らと共に治安維持法違反で逮捕される。劇団は8月23日に強制解散。翌1941年に釈放され、映画『流れ旅の人』に出演。同年5月、正式に無罪放免となったが、内務省から実名での勤務を命じられた。 1944年、小沢栄太郎、千田是弥、青山杉作、東山智恵子らと俳優座を結成。同時に日本移動演劇連盟に加盟し、芙蓉隊を編成して地方を巡回。戦後は『監察館』『中橋公館』『赤い陣羽織』『夜の来訪者』などで主役を演じた。劇団俳優座の中心地。その後、同劇場の演出家を務める。時代劇「水戸黄門」では、第1期から第13期まで、通算14年・381話にわたって主役の光圀を演じた。ドラマは名作になりました。 1982年7月8日、加齢による気力・体力の低下により、役を辞退することを表明。 1990年、日本新劇俳優協会会長に就任。その後、散発的に俳優として活躍。 1994 年 9 月 8 日、自宅で心不全のため 86 歳で亡くなりました。
遠野栄次郎 について
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