徳富蘇峰は、1868年12月8日、水俣の武士の家に生まれた。ジャーナリストで歴史家の徳富蘇峰の弟である。1885年にキリスト教に改宗し、愛媛県今治市に移り住み、曽我部四郎と暮らし、横井時雄の門下生となった。蘆花」というあだ名もここでついた。その後、同志社大学に進学した。
兄・宗匠の経営する新聞に執筆していたが、小説『カッコウ』が出版され、徳富が独立して作家として生計を立てられるほど成功する。1904年から1918年にかけて15回翻訳され、日本の作品としては初めて広く国際的に翻訳・流通した作品のひとつである。
トルストイとの出会いをきっかけに、徳富は田舎に移り住むようになった。二人の書簡は、蘆花恒春園内にある小さな美術館に遺品とともに展示されている。
1907年2月27日から亡くなるまで、武蔵野(東京都世田谷区)の一軒家で暮らした。妻の死後、敷地は東京市に寄贈され、公園として利用されることになった。彼の功績を称え、蘆花恒春園と命名された。
徳富は、宗匠と和解した翌日の1927年9月18日に群馬県伊香保で死去した。(出典:ウィキペディア)