東京に生まれ、早稲田大学に入学したが、左翼劇団に所属していたため、卒業を待たずに退学した。1933年、東宝の前身であるピー・シー・エルに入社し、山本嘉次郎の助監督として、長年の友人である黒澤明監督とともに仕事をするようになる。1947年、黒澤の脚本による「雪の轍」で長編映画監督としてデビューした。この作品では、映画監督デビューとなった三船敏郎と女優の若山セツ子が主演を務めた。谷口のアクション映画への評価を確立するきっかけとなった。
谷口は1949年に若山と結婚したが(若山は脚本家の水木洋子と結婚していた)、1956年に離婚した。八千草と谷口は、谷口が2007年に亡くなるまで50年以上連れ添った[1]。
谷口は黒澤が監督し、三船が主演した1949年の映画『静かなる決闘』の脚本を担当した。監督として最も高く評価されたのは『夜明けの脱走』で、1950年の反戦作品で、日本兵と「慰安婦」を描き、占領時代の検閲で問題となった[4]。 谷口は1950年代と1960年代を通して映画を監督し続けたが、作品の質が低下した[2] この時代の作品として『男と男の戦い』『賭けろサムライ』『嵐の中の男』『シンドバッドの失われた世界』などがある。1965年の作品『国際秘密警察』。Key of Keys』は、ウディ・アレンが『What’s Up, Tiger Lily?』と吹き替え、再公開したことで有名である。1970年の万博の公式ドキュメンタリーの監督に選ばれている。
谷口仙吉は、2007年10月29日、肺炎のため東京都内の病院で死去、95歳であった。