高木彬光は、昭和の時代に活躍した日本の人気犯罪小説家のペンネームである。本名は高木誠一。
青森県青森市に生まれる。第一高等学校(一高と略されることが多い)、京都帝国大学冶金学科を卒業した。中島飛行機株式会社に就職したが、第二次世界大戦後の日本における軍需産業禁止令で職を失った。
占い師の勧めもあり、作家を志す。最初の探偵小説「刺青殺人事件」の第2稿を推理作家の江戸川乱歩に送ったところ、乱歩はその腕を認め、出版社に推薦してくれた。1948年に出版された。
1950年、第2作「能面殺人事件」で探偵作家クラブ賞を受賞。
高木は独学で法律の勉強をし、ほとんどの作品の主人公は検事か刑事だったが、最初の作品の主人公は東京大学の助教授である神津恭介であった。
1960年代には、歴史ミステリー、ピカレスク小説、法律ミステリー、経済犯罪小説、SFの代替史など、探偵小説のバリエーションを模索した。
1979年以降、何度も脳卒中に襲われ、1995年に死去した。