1875年(明治8年)1月18日、秋田県仙北郡角館町(現在の秋田県仙北市角館町)に生まれる。
角館の小学校を卒業し、商家に奉公していた1900年(明治33年)頃、雑誌『新声東京』に投稿が認められ、佐藤新世子屋義了となる。編集・取材の傍ら、創作活動を開始。
1903年(明治36年)長朋舎に入社。1904年「よろず朝報小説」から「夫婦善哉」、1905年「伯爵夫人」連載、これらの小説で一躍人気作家となる。これらは、日本で本格的な映画製作が始まった1909年(明治42年)以降、映画化された。
劇団帝国座の大阪音次郎は、作者「開高」とともに座につき、「日本の恋」などのドラマに取り組んだ。
1915年(大正4年) 日本美術院から美術雑誌「中央アート」を発刊。翌1916年、染井有希、鏑木清方、吉川麗華、平福百水、松岡映丘らが呼びかけ、美術団体「金麗舎」を結成し、中央美術展を開催する。1926年、東京府美術館を開館。
1943年(昭和18年)に死去。68歳にて死去。
孫の高井雄一は、田口菊亭を描いた小説『夢の碑』を執筆した。