日本の小説家、作家、軍人 松山歩兵第22連隊の旗手として日露戦争に参戦。野木将軍の下、旅順攻防戦で体に8発の銃弾と無数の刀傷(全身蜂の巣状の銃創)を負い、右手首を吹き飛ばされる重傷を負った。重傷のため死体と間違われ、火葬場に向かう途中で生存が確認された。帰国後、実戦記録『戦記』を刊行。肉弾」 1906年(明治39年)の療養中に書かれたもの。戦記の草分けとして大ベストセラーとなり、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、中国など15カ国で翻訳・紹介された。 1924年(大正13年)から陸軍省新聞局長を務め、1930年(昭和5年)陸軍少将を退官。著書に「ホームフロント」、 「草のために祈る」 「黒レンガの家」 「白川将軍」 「乃木将軍」および「煙幕」彼の自伝「Records of Sorrowful Things」も同様です。また、少年時代に画家を志し、四条派の絵師に師事するほど絵が得意で、画集を出版した。太平洋戦争中の活動により、1947年(昭和22年)に公職追放、1952年(昭和27年)に釈放された。 1959年(昭和34年)に帰国。 1962年(昭和37年)松山坊っちゃん会を設立し、初代名誉会長に就任。 1964年(昭和39年)愛媛県教育文化賞受賞。 1965年9月17日、松山市菅井一番町病院にて死去。 86歳。
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