ロマンポルノ『檻の中の妖精』(1977)や『ピンクタッシュガール』シリーズ(1978-1980)などで知られる日本の映画監督、大原幸雄。日活で最も多才で多作な監督の一人であり、1979年だけで8本の映画を撮影し、そのスタイルへのこだわりから “ポップアートポルノの帝王 “として知られるようになった。
祖父が日活の監督だったことがきっかけで、映画に興味を持つようになったという大原幸佑。幼少期には年間200本もの映画を見たという。慶応義塾大学で法律を学び、衆議院議員の秘書をしていたが、司法試験ではなく、松竹を受験した。松竹は落ちたが、日活を受験し、1961年から助監督として働く。蔵原惟繕監督のもとで、後にロマンポルノの巨匠となる熊代辰巳と仕事をすることになる。
大原は、様々なジャンルのピンク映画を成功させる監督として知られるようになる。檻の中の妖精』(77)、『濡れ場告白』などSM系の作品で成功を収めた。日活が長谷部安春の『レイプ!』(1976)以降、バイオレンスピンク映画の製作を中止した後、『13時』(1976)を製作。13時間目』(1976年)以降、日活のバイオレンスピンク映画が製作されなくなった後、『ズームアップ』(1979年)で復活を遂げる。レイプ・サイト』(1979)。また、『実録・獄中女』シリーズで女性獄中映画を、ピンクのカトリック修道女映画『シスター・ルシアの不名誉』(1978)『濡れ場懺悔』(1979)を監督した。修道院物語』(1979年)。テレビでは『三人姉妹シュシュトリアン』などの子供向け番組を演出した。風刺映画『愛の白昼夢』(1980)、OLコメディ『後ろから好き』(1981)、さらにはピンクSF映画『桃子嬢の冒険』(1979)、ピンクミュージカル映画『オー!タカラヅカ』(1982)を監督して成功させた。
1988年、映画界から引退した。1999年、酒を飲んだ帰り道、脳梗塞で倒れ、負傷したため、生活や映画制作が滞るようになった。2004年2月20日、大原は死去した。