大原譲治は、東京都出身の日本のカメラマン、撮影監督である。ベーシストで作曲家のオハラ・レイの父親である。
青山学院中等部を卒業後、1924年、19歳のときに松竹蒲田写真館に入社。1927年、カメラマンに昇進し、先輩の野村弘とのコンビで “魔道 “でデビューした。
明るく柔らかな色調のコントラストを設定する技術者として知られ、水谷文治郎、三浦光夫ら当時の蒲田技術者たちと近代的な「蒲田調」の画風を作り上げたといわれる。1930年から1931年にかけては、豊田四郎監督と組んで帝国キネマ江戸に移籍したが、結局は蒲田に戻った。蒲田時代の代表作は、五所平之助監督とのコンビによる「恋の花咲く伊豆の踊子」(1933年)、「人生の鬼門」(1935年)などである。1936年、松竹大船撮影所の移転に伴い、移籍。
第二次世界大戦後の1947年、新東宝設立に参加。
1954年、日活で五所平之助監督の「愛と死の間」、新東宝で同監督の「庭取は二度死ぬ」でともにカメラマンを務める。第9回毎日映画コンクール最優秀撮影賞受賞。
1958年、大映東京撮影所に移籍し、1968年、”怪談・大歳穴 “を最後についに引退した。