野久保は、静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)で生まれた。
錦糸高校を卒業後、芸能界を志し、東京の俳優養成所に通う。その後、ワタナベエンターテインメント所属となり、2004年8月、第1回「D-BOYオーディション」合格者の一人となった。2004年8月、若手俳優集団「D-BOYS」のメンバーを選抜するイベント「D-BOYSオーディション」の第1期生となった。
同年10月、テレビドラマ『Mother & Lover』に出演。2005年、『H2~君といた日々~』に出演し、代表作となるデビューを果たす。クイズプレゼントバラエティでは「芸能界銭湯」チームの一員となる。2006年7月『Qさま!!』に出演。同番組は「芸能界飛び込み選手権」と謳われている。9月に放送された同番組の2時間スペシャルでは、「ノーダイナミック、ノーアプネア、ノンスイムフィン」で安田大サーカスの安田団長の115m記録を更新し、当時の日本潜水記録を116mに更新した。以来、この「Qさま!」チームには何度かレギュラー出演している。
また、野久保は2006年11月29日にクイズバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』に初出演した。ヘキサゴンII』(2006年11月29日放送)に初出演。その後、2007年夏にはレギュラー出演となり、”オバカタレント “としてブレイクすることになった。さらに、共演のつるの剛士、上地雄輔とともにオバカユニット「シューチン」を結成し、2008年4月に同名のシングル「シューチン」をリリースしてCDデビューを果たした。このレコードがヒットし、人気の高まりから映画にも進出するようになる。個人でドラマに出演する一方、日本のバラエティ番組への出演も続けている。
2009年、野久保の騒動が彼のキャリアにマイナスの影響を与えた。2009年、野久保問題の影響で活動休止。しかし、同年4月の事務所騒動により、露出が激減した。
2010年4月1日、ワタナベエンターテインメントの公式サイトからプロフィールとブログが削除され、同事務所を退所したことが明らかになった。その数日後、舞台『キマズゲ』に出演することが発表された。劇団態変ホームページにて「愛の言葉」を発表し、同作品をもって芸能活動を復帰した。同年6月、劇団大正昭和から派生した俳優集団「愛のカタマリ」(2011年に「ai-kata」と改名)に参加。
野久保はスポーツが得意で、小学生の頃から野球を始め、将来はプロでプレーしたいと意欲を見せていた。錦城高校3年生の時にはキャプテンも務め、中日ドラゴンズのドラフト候補にも名前が挙がっていた。
また、野久保は俳優業に入る前、一時的なアルバイトとしてプラダのドアマンをしていた経験も何度か語っている。俳優としてのキャリアは、浜崎あゆみのライブダンサーオーディションや、ケミストリーを輩出したアサヤンのメンズボーカルオーディションなどのオーディションでスタートした。また、『爆竜戦隊アバレンジャー』『魔法戦隊マジレンジャー』のオーディションにも参加した。