1936年1月24日、石川県河北郡津幡町で生まれ、富山県富山市と東京都天沼で育つ。立教大学文学部英米文学科に入学。立教大学初代ミス立教に選ばれる。
大学卒業後、1958年からNHKのアナウンサーとして活躍。名古屋放送局に配属され、天気予報や女性向け番組を担当する。翌年の伊勢湾台風災害の取材に携わる。1960年、NHK東京放送局に配属され、週1回、「おはようみんな」の司会を務める。その後2年間、週1回のレギュラー番組3本を担当した。
1962年、NHKを退社し、広告代理店に移った。クライアントがいないことに悩み、給料が上がらないと思い、TBSの15分生番組「女専科」の司会になることを決意する。その後、女優になることを意識するようになる。
1966年2月から1967年3月までパリに留学。日本で初めてミニスカートを履いた人」になる。
1968年から5年間放送されたドラマ「キーハンター」に出演し、視聴率30%を記録する。このドラマの主題歌も担当した。1972年、共演の千葉真一(通称:ソニー千葉)と婚約。1975年、38歳で真瀬樹里を出産、当時の芸能人では最高齢出産となる。
1992年、テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」で義理の母を演じ、大ヒットとなる。その後、TBS系ドラマ「ダブル・キッチン」「誰にも言えない」「スウィート・ホーム」「ちょいなつ星」などでレギュラー出演を果たす。
1994年、渡米を希望するソニー千葉と離婚し、日本に残る。
2011年3月、原発反対を訴え、自宅の照明をLEDに変えて節電に取り組む。2013年、特定秘密保護法の制定に反対を表明した芸能人の一人である。2016年11月、河北郡津幡町の広報特使に就任。
2014年、野際は初期の肺腺がんと診断され、手術を受けた。2015年にも腫瘍を取り除く手術を受けた。2016年、「やすらぎの郷」の撮影中にがんが再発。体調は悪化の一途をたどったが、2017年5月7日までドラマの撮影を続行。翌日には肺炎のため入院。しかし、その後も回復せず、6月13日に死去した。