直木三十五は、日本の小説家、脚本家、映画監督で、現在の大阪市中央区安堂寺町に生まれました。
早稲田大学英語学科予科、早稲田大学高等師範学校英語学科に学ぶが、月謝未納のため退学する。しかし、その後も早稲田大学に通い続け、卒業記念写真の撮影に参加。
1923年の関東大震災後、大阪のプラトン社に勤務し、川口松太郎とともに芸能雑誌『後楽』の編集に携わる。その後、徐々に時代小説を書くようになる。
31歳の時、「時事新報」にペンネームで月評を寄稿したのが執筆活動の始まりとなった。
1934年2月24日、結核性髄膜炎のため、東京帝国大学病院で43歳の生涯を閉じた。没後、菊池寛の発案で大衆文学のための文学賞「直木賞」が創設された。