中野稔は、大阪府出身の小説家、劇作家である。法政大学文学部中退。
1922年、浅草の公園劇場で中野の戯曲「芭蕉の春」が初演される。同年、時事新報の脚本募集に「茶番劇」を応募し、一等賞を受賞する。
日中戦争開始直後の1938年、大阪で陸軍に召集され、約2年間の兵役生活を送る。1940年4月に帰国。その後、同じく従軍画家の火野葦平と「文化報国会」を結成。
戦後は、新派、新派劇、歌舞伎などの脚本を担当。1954年、戯曲「あしたの幸福」で毎日演劇賞、芸術祭賞を受賞。
1973年1月3日、新橋演舞場で自作の舞台を観劇中に客席で脳溢血のため死去。