三代目中村勘右衛門は歌舞伎役者である。善心座の創立者の一人である。父は二代目中村勘右衛門、兄は三代目中村仲助。孫は二代目中村梅雀。妻は二代目楽光(らくこう)の娘。
1906年、東京・浅草の小劇場「柳森座」で『山姥』の烏天狗役で初舞台を踏んだ。
1911年、父とともに5代目中村歌右衛門の弟子となる。
1920年、歌舞伎座で名題昇進し、三代目中村勘右衛門を襲名。
1928年、二代目燕談四楼の娘・町田春子と結婚。
戦後は日本共産党に入党した。しかし、連合国占領下の日本では、マッカーサー司令部のレッドパージが広がり、興行が抑制された。
1952年、北海道での公演で、騒動が起きた。小学校の職員と劇団員が対立し、けが人が出たため、傷害と器物損壊の疑いで逮捕状が出された。そのため、中村は中国に逃亡した。1955年、3年ぶりに日本に帰国した。