村西とおるは、日本のアダルトビデオ(AV)の革新的で論争の的となる監督である。日本では「ポルノの帝王」として知られ、日本のアダルトビデオの歴史を通じて人気のあるジャンルである、日本のAVに見られる準ドキュメンタリー・スタイルの生みの親の一人とされている。1992年の東京ジャーナル誌の記事(Kjell Fornander)で、「業界の最も汚い老人」と呼ばれた。
高校卒業後、上京して百科事典を売り、その後、書籍出版や芸能界に関わるようになった。1984年末に設立されたばかりのAVスタジオ「クリスタル映像」に入社し、映画監督を始める。1988年9月、村西はクリスタル映像から独立し、ダイヤモンド映像という会社を設立、年商100億円の日本最大の制作会社となった。しかし、1992年に50億円の負債を抱えて倒産し、村西は高級住宅とロールスロイスに囲まれた生活から、アパート住まいを余儀なくされた。
AV女優の乃木真理子と結婚した。