水木洋子は、日本の脚本家である。東京に生まれた彼女は、その後文化学院を卒業し、父の死後、家計を支えるために脚本を書き始めた。1950年代の撮影所時代に活躍し、今井正監督や成瀬巳喜男監督とのコンビで知られる。彼女の作品はキネマ旬報の脚本賞を何度も受賞しており、「女性脚本家」の本でも紹介されている。An International Guide』では「日本の女性脚本家の中で最も重要かつ優れた作家の一人」と評されている。
水木洋子は、1910年8月26日に高木富子として東京に生まれた。文化学院を卒業後、東京左翼劇場で女優を始める。第二次世界大戦中はラジオドラマの脚本家として活躍した。
ロシア語の教師だった八住利雄の影響を受け、脚本を書き始める。最初の脚本は、安見と共同執筆した『女の一生』(1949年)。印刷工場で劣悪な環境の中で働く妊婦を主人公にした作品である。2作目の『また逢う日まで』(1950)の脚本が評判となり、今井正監督とのコラボレーションが始まる。キネマ旬報』では絶賛されたが、水木は「まだ脚本に悩んでいた」と言い、撮影中も『また逢う日まで』の多くを書き直した。
水木は、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した『純情物語』の脚本も手がけている。また、沖縄の混血児を描いた『キクとイサム』(1959年)など、型破りなテーマの脚本も書いている。その後、『港の灯』(1961)、『結婚時代』(1961)、『甘い汗』、『怪談』などでキネマ旬報ベスト・テン脚本賞を受賞した。
その後、NHKの『龍馬伝』(1968年)など、テレビでも活躍。
戦前、水木は、黒澤明としばしば共同作業を行った監督・脚本家の谷口仙吉と短期間結婚していた。
また逢う日まで』『純情物語』『菊とイサム』『結婚適齢期』など34本の自作映画の中で、水木の好きな作品は多い。
水木さんは2003年4月8日、千葉県市川市で亡くなった。旧宅は水木記念館となっている。