松本泰助は、鳥取県鳥取市立川町出身の日本の俳優。伊藤大輔監督作品を中心に、帝国キネマや日活で時代劇や現代劇に数多く主演した大スターである。
1911年、旧東京美術学校を中退し、川上音二郎一座に入団。1917年、伊庭崇率いる歌舞伎協会に入り、1918年、山本嘉一が主宰する名人座に参加する。
1925年、帝国キネマが分裂し、松本は芦屋映画製作所に入社、初監督作品の多くに主演として出演した。しかし、1927年1月に退社し、松竹合名会社の専属となる。
同年12月、日活田畑写真館に入社。しかし、同年末に松本は日活を退社した。
退社後は浅草でデモ活動をしていたが、1929年5月、帝国キネマに復帰する。1938年からは、新興のキネマ京都スタジオに移籍した。
1941年公開の押元映画「直参風流男」が最後の出演作と確認されている。生前の消息は不明で、没年も不明。