松本栄一は、東京都本所区向島須崎町出身の日本の映画監督である。無声映画時代に活躍した。
1912年頃、攻玉社中学を卒業し、鉄道院上野駅に勤務する。その後、早稲田大学に入学するが、演劇に傾倒し、上山草人主宰の「近代演劇協会」に参加し、親に勘当される。
10年間の苦闘の末、映画と演劇の会社「帝国キネマ映劇」に入社し、新派劇の脚本を担当する。芦屋映画9本を含む85本の映画を監督し、1927年10月に帝国キネマを退社した。
1927年末、河合徳三郎が東京に設立した「河合プロダクション町屋写真館」に参加し、1928年に同社の第1作「青春散歩」を発表。18本の映画を撮影した後、1931年4月に同社を退社。
1945年8月13日、第二次世界大戦終戦の2日前に50歳の若さで死去。