松林 修衛は、島根県江津市桜江町出身の日本の映画監督、元海軍将校、僧侶である。法名は釈秀枝。
1938年に中学校を卒業後、京都に行き、龍谷大学専門部を卒業。日本大学芸術学部へ進み、1942年、仏像を映画に取り入れたいと考え、東宝撮影所の副監督として入社する。
学部卒業後、海軍第三期兵科の予科練生となる。1944年、海軍少尉に任命され、南中国アモイ島の陸軍飛行隊長となり、150人の部下を従えた。終戦後、復員して東邦に戻ったが、東邦争議に伴い新東邦に移った。
松林は、先輩の黒澤明や市川崑のように華々しい映画賞に恵まれることはなかったが、着実に大ヒット作を生み出していった。
2009年8月15日、心不全のため89歳で死去した。