工藤静香は、日本のポップシンガー、女優である。1980年代後半から1990年代前半にかけて人気を博した。また、スーパーアイドルグループ「おニャン子クラブ」の38号メンバーであり、グラビアグループ「桃子クラブ」のメンバーでもあった。
1984年、工藤静香はミスセブンティーンコンテストのオーディションを受け(他のおニャン子クラブのメンバーと一緒に)、優勝した。翌年、清原亜希、柴田邦子らと「セブンティーンクラブ」を結成。2枚のシングルをリリースした後、解散。
セブンティーン・クラブ解散後、1986年5月におニャン子クラブのオーディションを受け、合格し、おニャン子クラブの38人目のメンバーとなる。おニャン子クラブでは、ヤンキーと呼ばれていた。工藤は、渡辺満里奈のデビューシングルを皮切りに、おニャン子クラブのメンバーのソロシングルのバックで歌うことからスタートした。1987年、生稲晃子、斉藤真木子とサブグループ「うしろがみひかり隊」を結成。また、同時期におニャン子クラブのメインボーカルを8枚目のシングルから担当するようになる。
1987年のおニャン子クラブ解散後、工藤静香はシングル「金曜のテレパシー」でソロ活動を開始する。1987年、おニャン子クラブ解散後、工藤静香はシングル「金色のテレパシー」を皮切りにソロ活動を開始。南野陽子、浅香唯、中山美穂と並ぶ「80年代アイドル四天王」の一人と目されている。ミニアルバム『カレリア』から作詞も手がけるようになる。1994年、シングル「ブルーローズ」を皮切りに、セルフプロデュースによる楽曲制作を開始。
ソロデビューと同時期に、工藤はタレント・女優としてもデビューし、様々なドラマやバラエティ番組に出演した。とんねるずの生でダラダラいかせて!』では準レギュラーとして出演していた。1997年には、とんねるずの石橋貴明とのデュオユニット「Little Kiss」で、シングル「A.S.A.P」をリリースしています。
2000年、SMAPの木村拓哉と結婚し、2001年と2002年に2人の娘を授かる。
(出典:ジェネレイジア)