東京の文具店(事務用品の販売・卸売を行う近田商会)の娘として生まれる。兄がいたが、戦争で亡くなっている。1949年、高等女学校に在学中、撮影所を見学に行った際、新東宝に挑戦してみようと思い立つ。制作主任の大村閑山に推薦され、女優として総合芸術の世界に入り、学校も中退した。
翌1950年1月、東宝に移籍。
1953年、杉江敏男が監督に抜擢され、「逃亡地帯」で三國連太郎の愛人役で主演。
この作品から、本名を芳子から北川町子に改名した。以後、その妖艶な特徴を生かした役柄を演じ、東宝の中堅女優として活躍している。
1964年、同じく東宝の俳優だった児玉清と結婚し(児玉は北川家の嫡男となる)、まもなく女優業を引退した。一男一女を授かる。息子は北川大介で、一時期、児玉大介、北川大介の本名でタレントとして活躍したが、その後引退し、OLとなる。娘は亡くなるまで夫のマネージャーを務めていた。