日本映画の美術監督、プロデューサー、東宝ビルト社長。大阪府出身。日本映画テレビ美術監督協会の初代副理事長を務めた。弟の喜多達夫も美術監督である。
1926年、市岡中学校を卒業し、日活に入社。6年後の1932年に日活を退社し、フリーランスとなる。
久保和雄監督、青柳信雄監督のアシスタントを経て、本多猪四郎監督と意気投合する。50年代から60年代にかけて、本多のSF映画の美術監督を数多く務めることになる。東宝でも出世し、1961年に東宝製作部長、翌年には東宝ビル代表取締役社長に就任した。1939年の日本映画テレビ美術監督協会設立時には、初代理事を務めた。
(出典: マイドラマリスト、ゴジラ・シネアスト)