黒木和雄は1930年11月10日に三重県松阪市で生まれました。同志社大学を中退し、岩波映画製作所に入社。 PR映画やドキュメンタリー映画を監督する一方、土本典昭、小川紳介、東陽一らとドキュメンタリーの新しい道を模索する「青の会」にも参加した。黒木は『北海道、わが愛』(1960)でスポンサーとの軋轢を経験し岩波を離れ、『マラソンランナーの記録』(1964)で日本のドキュメンタリー界に変化をもたらすことになるのです。
黒木は劇映画に転向し、『沈黙に翼はない』(1966)を自主制作し、芸術劇場ギルドで上映した。特に『明日』(1988)、『地蔵の顔』(2004)など、原爆を扱った一連の作品で知られ、ATGや日本インディペンデント映画の代表的な存在となる。これらは、彼が長崎市の近くで育ったことが、一因となっている。また、地元の工場で働くために徴用されていた学生たちが連合軍の爆撃で死亡し、それを助けなかったことに責任を感じた黒木自身の戦争に対する罪の意識も作品に表れている。
黒木は『地蔵の顔』『美しい夏キリシマ』(2004年)で2004年毎日映画コンクール監督賞を受賞している。