四代目河原崎国太郎は、娘役や姫役を得意とする若手有望株だったが、残念ながら(謎の)若さで亡くなっている。明治40年代に新派で数年間活躍し、二代目市川猿之助の近世舞台にも関わっている。
1919年8月国太郎、最後の舞台は帝国劇場、夏の怪談「怪談牡丹燈籠」のおよねの幽霊とお国役で出演。1919年8月13日、心臓発作のため急逝する。歌舞伎界では、大正8年8月27日に亡くなったおつゆの幽霊の相手役である三代目尾上菊次郎とともに、本物の幽霊がかけた呪いの犠牲者であると考えられていた。牡丹燈籠』には、幽霊の役を演じた役者はすぐに死んでしまうという迷信がある。1919年8月、帝国劇場で上演されたとき、そのことが実感された。妾と女中という役どころで、東京で最も有望な若手俳優の二人が、公演中に病を得て、一週間もしないうちに亡くなってしまったのである。毎晩のように、青白い顔で、髪を長く伸ばし、乱れた姿で、幽霊のような提灯を手にした女中が柳の木の後ろに移動しているのが目撃されていたのだ。やがて彼らは、自分たちがなりすました影のように、もはや土のものではなく、土のような存在になっていった」(ゾエ・キンケード「日本の大衆舞台、歌舞伎」)。