観世栄夫は、日本の俳優、演出家であり、能楽を専門としていた。
14世紀に能を興した観阿弥・世阿弥の子孫である7世観世銕之丞の次男である。父と祖父に弟たちと一緒に鍛えられ、3歳で初舞台を踏んだ。戦後、東京音楽学校に入学したが、中退した。実家が五大能楽堂の一つであったため、11年間、喜多流の養子となり、物議を醸した。
その活動は能楽界を騒がせ、観世は能楽界を離れ、通常のドラマや映画に出演するようになった。1979年、兄で俳優の観世寿夫の協力を得て、能楽師としての活動を再開する。
2007年5月2日、観世は中央高速道路で中央分離帯に衝突する大事故に巻き込まれた。同乗していた同僚と思われる年配の女性が頭部に重傷を負い、病院で死亡した。
観世は、この事故から1カ月余り後に腸がんのため死去、享年79歳。