Itami Juzo

伊丹十三

性別: 男性
生年月日: 1933年5月15日

固有名詞: 伊丹十三

出生時の名前: Juzo Itami

国籍: 日本の俳優

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伊丹十三 について

伊丹十三は、日本の俳優、脚本家、映画監督である。11本の映画を監督し、そのすべてが自身の脚本によるものである。

戦前の風刺時代劇の監督である伊丹万作を父に持ち、当初は俳優として活動し、日本で定期的に出演するほか、『ロード・ジム』(1965、リチャード・ブルックス)などの英語作品にも時々出演していた。森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983)の父親役で大成功を収めた後、私財を投じて初監督した『お葬式』(1984)は、父親の火葬を控えた家族を描いたブラックコメディであり、最高傑作となった。この作品は、父親の火葬を控えた家族を描いたブラックコメディで、時折ギャグも入るが、主な笑いどころは、儀式に不慣れな人々のぎこちなさや、火葬場の係員が遺族に悲惨な経過を説明する無粋さといった不自然さであった。この作品は、小料理屋の主人が完璧なラーメンを作ることを学ぶもので、食をテーマにした様々なスケッチとともにこの物語が展開される。アメリカ西部劇のパクリに東洋神秘主義的な味付けをしたこの作品は、風刺というより茶番劇で、伊丹監督らしい作品とは言い難い。
しかし、伊丹監督の最も特徴的な路線は、脱税者を追う政府捜査官を描いた『課税の女』(1987年、『マルサの女2』1988年)、高級ホテルでヤクザの脅迫に立ち向かう弁護士を描いた『恐喝に立ち向かう女』(1992年)、自分を寝取る男すべてに幸運をもたらす元芸者を描いた『あげまん』(1990年)に代表される、激しい社会風刺であった。いずれも、伊丹十三の妻でレギュラースターである宮本信子の気迫に満ちた演技が際立っていた。最も成功しなかった『アゲマン』は、政治腐敗と富裕層の欲望を不快なほど広範囲に批判した作品だった。しかし、『課税の女』では、脱税者だけでなく、続編では、建設会社が近隣を壊し、脅迫してまで利益を追求するという、不道徳な金持ちへの鋭い攻撃が行われた。この作品は、ヤクザを残忍な凶悪犯としてデグラマラスに描いているが、公開直後に伊丹自身が自宅の外で刺されるという事件が起きた。この事件は、監督の遺作となった『マルタイの女』(1997)に影響を与えた。この作品は、目撃した殺人事件の加害者であるカルト教団に脅かされる女性を描いた、コメディタッチではあるが異常に厳しいドラマである。
伊丹十三の代表的な作品は、バブル経済の時代に作られ、その贅沢さが風刺の材料となった。バブル崩壊後は、比較的シリアスな作品を2本発表し、その幅を広げようとしている。ラストダンス』(大映、1993年)は、癌に冒された映画監督が、同じ病気で死んでいく夫婦を描いたメロドラマを監督する話であった。死という厄介な現実と映画内映画の感傷性との対比が効果的だったが、結末は伊丹監督が以前送ったようなシュミレーションに陥っていた。静寂な生活』(1995)は、伊丹の義弟で作家の大江健三郎の家族、特に彼の知的障害者の息子にまつわる出来事に基づいており、ペーソスと暴力の混合が効果的に扱われていた。両作品とも、押しつけがましいファンタジー・シーンや茶番劇の要素は、あまりうまく処理されていない。SupermarketWoman』(Sūpānoonna、1996年)は、落ち目の店が評判を回復するという、より特徴的な領域に戻った作品である。魅力的ではあるが、風刺としては歯切れが悪い。実際、伊丹はかつて馬鹿にしていた商業的価値を今になって称賛しているように見えた。
奇抜なカメラアングルでユーモラスに見せることも多かったが、伊丹の笑いはスタイルよりも状況や、逆境に直面したヒロインの機知に由来するものだった。しかし、『お葬式』の重厚さや『たんぽぽ』の可笑しさに匹敵する作品はなく、後期の作品は辛辣さが薄れ、やや定型化した。マーク・シリングは彼のことを「マクドナルドがビッグマックをパッケージするように、社会派コメディを巧みに一貫してパッケージする能力」と皮肉っている。伊丹の自殺は個人的な悲劇であったが、彼の最高の作品は彼の背後にあったのだろう。

(出典:日本映画監督批評ハンドブック)

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