石川 怜は、東京都本所区業平出身の日本の俳優。妻はダンサーの藤間澄江。
1920年(大正9年)、新人俳優・武田政則の部下となり、東京で初舞台を踏む。1921年、小折圭一郎一座に入り、1923年、村田式部に師事して女形を修業する。しかし、直後の不況で舞台俳優をあきらめ、1927年2月にマキノプロダクション御室スタジオに入社し、多くの作品に出演した。1931年10月のマキノプロダクション解散後、同年11月に松竹京都撮影所に移籍。1939年、東宝に転じ、終戦まで数多くの作品に出演した。
戦後は、東宝争議(1946-1948)の影響を受けて1947年に誕生した新東宝に入社し、1961年の新東宝倒産まで活躍する。その後、フリーとなり長く活躍したが、1973年に病気で入院し、耳が遠くなったため退職した。
1979年に出版された『日本映画俳優全集』では存命中の人物として紹介されているが、その後の行方は不明。没年も不明である。