市川 澄之助(いちかわ すみのすけ)は、丹後国宮津藩出身の日本の歌舞伎俳優、役者。市川富之と表記されることもあり、本名は奥村祐吉(おくむら すきち)。旧芸名は中村梅太郎、中村六丞。没年は不詳。
1867年、7歳の時に歌舞伎俳優の中村勘解由に入門し、大阪朝日公演『勧進帳』で二代目中村梅太郎を名乗り、子役として初舞台を踏んだ。
明治10年、17歳のときに中村扇雀の弟子入りし、改名。その後、市川瑤子一座に入門した。1988年刊行の『歌舞伎人名事典』(日外アソシエーツ)によると、三代目市川東隅を名乗ったとあるが、別途資料はなく、詳細は不明である。
京都府中京区新京極の新京極東向座、兵庫県神戸市の大黒座に出演した後、明治44年9月から横田商会に所属しました。尾上松之助派に入門してからは、尾上松之助本人主演の映画を中心に、主に老け役として活躍する。その後、日劇京都撮影所に所属し、マキノ省三監督の映画「三日月次郎吉」に出演。
無声映画以外には出演していない。