Horikawa Hiromichi

堀川弘通

性別: 男性
生年月日: 2016年11月28日

固有名詞: 堀川弘通

出生時の名前: Hiromichi Horikawa

国籍: 日本の俳優

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堀川弘通 について

堀川弘通は、日本の映画監督である。七人の侍』(1954年)、『血の王座』(1957年)の制作で黒澤明の助監督を務めた。

黒澤明の助手として『生きる』(1952)、『七人の侍』(1954)など多くの作品を手がけたが、堀川は師匠の名声には届かなかった。黒澤自身は『あすなろ物語』(1955)で監督デビューし、思春期の少年と最初の3人の女性について脚本を書いた。堀川の2作目、3作目、石原慎太郎原作の太陽族映画『日食の夏』(1956)、『元禄忠臣蔵』(1956)にも、青春体験への関心がうかがわれる。石原慎太郎原作の『太陽族』、忠臣蔵の末っ子とその婚約者に焦点を当てた『元禄忠臣蔵 大石参伍の一日』(1957年)などがある。近松の『油地獄』(1957年)も古典の再話だが、堀川は現代的な題材に戻り、知的障害のあるコラージュ作家の山下清を描いた『裸の大将』(1958年)を発表している。この頑固な不適合者の暗くてユーモラスな物語の中で、堀川は初めて第二次世界大戦のテーマに触れ、この画家の狂気がいかに徴兵を逃れることができたかを皮肉った。また、ある女性の不幸な結婚や不倫を描いたメロドラマ『わが愛しき時も』(1961年)も、戦時下を背景に展開された。
60年代には、堀川はスリラー映画も撮っている。これらの映画の社会的な側面は、黒澤の影響が続いていることを示唆しているが、『青い獣』(1960)や『罪の圧力』(1963)で常連の仲代達矢が出演した小林正樹も思い起こさせるものがある。前者は労使双方を利用する下級幹部の栄枯盛衰を描き、後者は恋人を絞殺した弁護士が別の男の告白でモラルのジレンマに陥るという心理スリラーであった。その後、『さよならモスクワ』(1968年)は、日本人ジャズピアニスト、ベトナムから休暇中のアメリカ人兵士、ロシアの反体制派の若者たちの関係を、冷戦時代の日本の状況の比喩として用いた。1936年2月26日のクーデターを描いた『ミリタリスト』(劇映画、1970年)は東条大将の伝記映画であり、『太陽と死』(草劇、1968年)は運命の殺し屋を描いたスリラーで、編集は簡潔であるがオーソドックスなものであった。
このころには、堀川は東宝で最も信頼できる看板監督とみなされていたが、70年代の作品はあまり注目されない。堀川は、『翼は心につけて』(1978年)、『むつみの歌』(1985年)などで若者の経験を扱い続けたが、いずれも末期がんの子どもたちを描いた悲劇である。後者は堀川の遺作と同様、戦時下を背景にしている。戦争と花』(1989年)も戦時中の女性の体験を描いた作品であり、『アジアン・ブルー』(1995年)は朝鮮人強制労働者、特に日本の降伏後に彼らを乗せた船の沈没で亡くなった人々の苦しみに焦点を当てたものであった。堀川は一貫して興味深い題材に取り組んできたが、彼の映画は不完全なものであったようだ。アンダーソンとリッチーは『雑草物語』を黒澤の脚本が十分に展開されていないと非難し、佐藤忠男は『さよならモスクワ』を政治的関心があるにもかかわらず感傷的だとし、ジョアン・メレンは『軍国主義者』を政治的に素朴だと批判している。とはいえ、堀川作品のいくつかは60年代には海外配給に値すると考えられており、今でもリバイバル上映に値するかもしれない。

(出典:日本映画監督批評ハンドブック)

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