1899年、尾崎紅葉と出会い、紅葉が主宰する文芸団体「研友社」に参加する。1895年(明治28年)、2冊の小説を発表し、文学者としての地位を確立する。1895年、「へめでん」「黒蜥蜴」を発表。この2作は、日本文学の新しいジャンルである「悲劇小説」の第一作目である。江戸時代以前の下作の影響を強く受け、彼の物語は、ありえない、あるいは信じられないような出来事、メロドラマ、ロマンチシズム、そしてかなり木訥な人物描写に満ちている。彼のプロットは、主人公が一連の哀れで悲惨な体験を通して、融通の利かない運命によって決定される破滅に向かって、どうしようもなく進んでいくことが特徴である。代表作の『今戸心中』は1896年に発表された。
1908年に作家を引退し、1928年に心臓発作で死去。墓は東京の谷中霊園にある。作家の広津和郎はその息子である(Wikipedia)。