欧米では主に『絵の中のぼくの村』(1996)で知られているが、東は実際、一貫した知性と、リベラルで進歩的な路線に沿った控えめな政治的関与を示す作品を制作している。長編デビュー作の『沖縄列島』(1969)は、ジョーン・メレンに「(当時)日本で出現しつつあった新しいドキュメンタリーの美学的な唯一の最良の例」と評価された。隠しカメラで米軍施設の禁断の映像を記録し、日本復帰後の沖縄で米軍が存在し続けていることを批判的に検証した。敗戦時、赤ん坊だった青年が沖縄で起きた集団自決から生還し、政治的に目覚める姿を描いた。また、『日本妖怪伝 サトリ』(1973年)では、超常現象を題材に、現代日本人の抱える悩みを描いた。
寺山修司の脚本で、殺人犯の少年院での生活を描いた力強いセミドキュメンタリー作品『サード』(1978)は、日本で最も高く評価された作品である。主演の永島敏行の極端なまでに控えめな演技と、むき出しの刑務所内の細部をとらえるカメラの精度が、ブレッソニアンに近い緊迫感を与えるシーンもあった。この後、東は女性の主人公に焦点を移し、微妙にフェミニストな作品を次々と発表していく。もう楽勝』(1979年)は、2人の恋人の間で揺れ動く女子大生を描いたメロドラマで、ついに2人なしで生きていかなければならないことを悟った。また、『マノン』(1981年)は、アベ・プレヴォストの小説をモチーフに、主人公が多くの男性との関係を築いていく姿を描いている。SecondLove』(セカンドラブ、1983年)は、不安定で若い2番目の夫のやる気のない嫉妬に対処しようとする女性の話である。これらの作品は、異常に強いヒロインがいることで注目された。一方、『ザレープ』(1982年)や『変身』(1986年)は、家父長制のもとでの女性の抑圧を扱った作品である。
90年代には、明治・大正時代を舞台にした住井すゑの大河小説『橋のない川』(1992年)を映画化し、被差別部落への差別をテーマにした。同じテーマは、昭和40年代の四国の片田舎に住む双子の兄弟の幼少期を繊細に描いた『夢の村』でも斜めに触れられている。社会批判のニュアンスはあるものの、超ピクチャレスクな設定とマジックリアリズムの要素(木に止まって出来事を解説する魔女の一団)は、トーンをやや甘くしすぎているが、この映画は雰囲気があって印象的だった。風立ちぬ』(2004年)では、東は初期の長編作品の舞台である沖縄に戻り、同じ魔術的リアリズムの手法を用いた。年老いた主人公たちが戦時中のトラウマの記憶と折り合いをつけていく大人の物語は、やや口先だけだったが、東は再び子どもの激しい感情生活をドラマ化する手腕を発揮したのである。私のグランパ』(2003年)は、もう少し年長の子どもに焦点を当て、祖父が殺人犯であることが発覚し、学校で仲間はずれにされた14歳の少女の体験を追ったものである。この作品でも、東のアウトサイダーに対する一貫したシンパシーが表れている。彼の作品は、スタイルよりも題材の面白さに重きが置かれていると言えるが、その知性と誠実さには尊敬の念を抱かせる。
(出典:『日本映画監督批評ハンドブック』)。