八田尚之は、北海道小樽市出身の日本の脚本家である。女優の宝生絢子は妻。
1927年、21歳のとき、勝見洋太郎プロダクションに入社。翌1928年3月、彼の原作が脚本化され映画化される。同年11月、”まご日記 “で脚本家としてデビューした。この時、22歳であった。
脚本家としてデビューしてからも、何冊か本を書いた。1931年、26歳になった時、勤めていた会社が倒産した。その後、八田は日活田畑写真館に入社する。
1934年、現代演劇部の多摩川スタジオへの移転に伴い上京。翌年、重宗勉が設立した東京声帯映画製作所に移籍し、脚本企画部長となる。1937年、石坂洋次郎の小説を脚本化し、映画「若い人」がヒットする。
1939年、東宝映画製作所に入社し、その後もいわゆる “文芸路線 “で一時代を築いた。戦後は、東宝を中心に新東宝、東映の脚本を書いた。
1964年8月25日、58歳で死去。