10歳で母を亡くし、継母とうまくいかず17歳で東京へ。
当初は才能を生かし、書道の岡本小影門下に入っていた。その学費を稼ぐために東京谷中所属のモデル事務所に入り、主に彫刻家のモデルになった。清楚な容姿で、平松豊彦や堀江直司などの彫刻家に起用された。
その後、プロレタリア演劇研究所に入所。1928年、東京左劇に入団し、正団員となる。1930年、同志であり生涯の友であった中野重治と結婚し、一女をもうける。1934年、新演劇団の結成に参加し、「夜明け前」「火山灰地」などの舞台に立つ。 この時、原泉子の芸名を与えられたが、この芸名はかつて付き人だった花木晴美がつけたものである。1940年 8月19日の新劇取り締まりで、平和維持法違反の村山知義、滝沢修らとともに逮捕され、解散に追い込まれる。日本放送協会が試験的に制作した日本初のテレビドラマ「ゆげまえ」に出演。1946年、村山らの第2期新音楽隊に参加するが、1950年に脱退、同年、原泉と改名する。
以後、北林谷栄、毛利菊枝、占部玲子らと同様、映画、テレビドラマで活躍。
上品な老婦人、妄想癖、終わらない祈り、超能力者という不気味な役柄もこなした。
特に、アクションシリーズや伊丹十三では、謎の獣をコミカルに演じた。
1989年5月21日死去。84歳没。藤森節子伝「女優・原泉子と生きる 中野重治」(1994年、新潮社 )。岩波書店「新日本文学史」第5巻にも掲載されている。