時代劇のスペシャリストである二川は、マキノプロダクションで人気アクションヒーローの阪東妻三郎と組んで撮った無声映画で知られています。そのうちの数本が現存している。また、最も有名な『おろち』(1925年)は、伊藤大輔が発展させることになる、社会に反抗する「ニヒリスト・ヒーロー」という反英雄的人格を確立した重要な作品とされている。この映画の憂鬱な雰囲気は、伊藤のような政治的含意の深さはないが、主人公の苦しみは社会的不正義というよりも不運の結果であり、実に印象的であった。ノエル・バーチは二川を「アカデミックな新西欧の監督の典型」と呼んだ。しかし、彼の作風には古典的な経済性がある一方で、アクションシーンを長回しで撮ることを好むのは、テーマへの関心と同様に日本的な特徴であった。さらに、彼は時折、意図的に実験的な手法で映画を撮っていたようだ。失われた『墓石がいびきをかくとき』(1925)は、当時流行していた『カリガリ博士の内閣』(1920、ロベルト・ヴィーン)の表現主義の影響を受けているようである。
30年代に入ると、二川は松竹に入社し、颯爽とした林長十郎(後に長谷川一夫)を主演に据えた時代劇映画を得意とするようになる。しかし、その音響映画はあまり評価されず、1939年に監督業を引退する。50年代に復帰を試みるが、失敗に終わった。二川の弟、滝沢英輔も映画監督として活躍した。(出典:『日本映画監督批評ハンドブック』)。
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