降旗康男は日本の映画監督であり、「鉄道員(ぽっぽや)」で2000年度日本アカデミー賞監督賞を受賞している。
CMディレクターとして活躍した降旗は、恋人と一緒にサントロペ行きの船に乗り、日本を脱出する少女を描いた青春映画『悪女ヨーコ』(1966年)でデビューした。しかし、彼が真価を発揮したのは、東映の2つの人気アクション映画シリーズであった。現代やくざ』(監督:2話)と『網走番外地』(監督:6話)である。網走番外地』では、タフガイの高倉健とのコンビを確立し、北海道を舞台に、雪国ロケを得意とする監督になった。
この作品は、元ヤクザが、自分のせいで死んだ仲間の10代の娘を世話する話である。この作品は、フランスの犯罪映画と比較されるような雰囲気を持っていた。高倉は、オリンピックの射撃競技の選手でもある警察官の12年間の生活とキャリアを描いた『駅』(1981年)、ヤクザの生活から離れ、結婚して海岸の村で漁師として働く元犯罪者を描いた『夜叉』(1985年)にも主演している。両作品とも、アクションよりも個人的なドラマに重点が置かれていた。デーモン』は成熟した人物研究であり、地域色に富み、アルコール中毒、賭博、犯罪など、一見都会的な現象に対する小さなコミュニティの反応について知的なコメントを残している。この映画にはクライムスリラーらしいアクションシーンがあるが、古畑はもっとストレートにドラマチックな映画も作っており、しばしば恋愛をテーマにしたものもある。恋』(1983年)は、かつての恋人たちの永遠の情熱を描いた作品である。戦前の社会と政治を背景にした『阿吽』や、地方都市・高知の芸者の寵愛をめぐって対立する政治家とその手先のヤクザが争う『寒椿』(1992年)などがある。日本の批評家から古畑任三郎の最高傑作とされる『邪悪な時間』(1985年)は、母と子の近親相姦の関係を描いた作品である。
しかし、古畑監督にとって最大のヒット作は『鉄道員』(1999年)だった。この作品は、北海道の衰退した鉱山町の老いた駅長を、再び高倉が演じるセンチメンタルなメロドラマである。この作品は、レイモンド・ダーグナットの言葉を借りれば「男の泣ける映画」であり、妻や子供が死んでも家族より仕事を優先する主人公を偶像化したものであった。また、神風特攻隊の生き残りを描いた『火垂る』(2001年)は、植民地化された朝鮮半島の軍人が戦争で果たした役割を考察した作品で、ヒット作となった。メロドラマ的な『赤い月』(2004年)も戦争を想起させ、ソ連侵攻時の満州の植民地出身者の愛と苦悩をドラマチックに描いている。マーク・シリングは、古畑任三郎の暗黙のナショナリズム的な態度が、彼の国際的な評価を低下させたとほのめかしている。しかし、日本国内での彼の一貫した商業的成功と断続的な批評家としての成功は、彼の作品群がさらなる探求に値することを示唆している。
(出典:日本映画監督批評ハンドブック)