俳優、コメディアン、”日本のお笑い王 “と呼ばれる。オペラ「カルメン」の日本公演でコーラスを担当し、芸能界デビューを果たした榎本。即興芝居を得意とし、映画界に進出した。歌の才能もあり、日本ではコロムビア、ビクター、ポリドールなどのレコード会社で録音した。第二次世界大戦前までは、数多くの喜劇に出演していた。しかし、戦後は喜劇の需要が減り、榎本はあちこちの劇場で活躍するようになった。
同じ俳優の柳家金語楼と漫才コンビを結成。
1952年、撮影中の事故で榎本は足に大怪我をした。感染症で大腿部を切断することになった。長男の突然の死もあり、榎本は深く落ち込んだ。そんな時、同じコメディアンで、発症した事故で手を失いながらも芸を続けたハロルド・ロイドに励まされた。やがて榎本は、義足を使ったギャグを芸に取り入れるようになる。
しかし、体調不良とテレビの台頭により、榎本は幕を閉じた。1970年、肝硬変のため死去。
(出典: ゴジラ・シネアスト)