水院恵美は、岡山市一番町生まれの小説家、翻訳家、編集者。
文芸作品を出発点に、大衆小説、探偵小説、冒険小説、探検小説など幅広い分野で作品を残し、研友社、博文館など多くの出版社で雑誌の編集・発行に携わった。代表作に、小説『女房殺し』、『痴呆探検記』、エッセイ『時光通信明治文壇誌』、ドラマ化された『聖・月光和紙』などがある。
叔父の勧めで軍人を目指して上京するが、次第に文学に魅せられ、15歳で軍人を断念する。東京英語学校に通いながら、杉浦重剛の讃岐塾に入り、同人誌『舞扇草紙』を出版する。
日原鍾乳洞の探検や戸隠山・富士山の雪中登山をはじめ、『太平洋』『少年世界』『探検世界』の編集長を務め、自らの探検の成果を発表した。一方、自伝的エッセイ「自光中新明治文壇誌」は、明治時代の文人の生き様を克明に描き、文学史の資料としても貴重なものである。
晩年は講演などで各地に赴き、その記録は『水蔭安雅全集』に詳しい。昭和9年11月3日、急性肺炎のため、旅先の松山の旅館で死去した。