1947年、ニューフェイス第2期生として東宝に入社(ちなみに、女優の塩沢ときと同期であった)。主役にはなれなかったが、50年代から60年代にかけて、数々のSF映画をはじめ、ちょい役で頻繁に登場した。初代『ゴジラ』の冒頭、破滅する漁船でハーモニカを吹いている船員は彼である。最も有名な脇役は、『デストロイ・オール・モンスターズ』(1968年)のロケット船SY-3の副操縦士役である。
1971年に引退した。クレー射撃や名優・岩本宏とのコーヒーデートが趣味だった。2014年、未亡人である女優の寺沢広子がインタビューで越後氏の死を認めたが、具体的な死因(日付など)は公表されていない。
(出典:ゴジラ・シネアスト)