坂東幸太郎は、東京都神田区連雀町出身の昭和初期の歌舞伎役者、映画俳優である。本名は本間 健太郎(ほんま けんたろう)。
5歳で7代目澤村宗十郎の弟子となり、8歳で7代目坂東三津五郎の弟子に移る。1922年、帝国劇場で沢村健太郎として初舞台を踏み、1924年からは坂東幸太郎を名乗るようになりました。1930年、6代目尾上菊五郎の日本俳優養成所を卒業。この頃、四代目片岡仁左衛門が座長を務める新宿第一劇場の「青年歌舞伎」に参加。
1931年、20歳で松竹京都撮影所の専属映画俳優となり、翌年「よなよな大名人」でデビュー。この頃、同じ下鴨撮影所の女優、飯塚俊子と結婚する。
戦後、1948年に大映京都撮影所に入社し、1955年に日活、1958年に新東宝、1960年に東映に移籍した。
1981年11月28日、70歳で死去。