明治大学文学部在学中、齋藤孝ゼミに所属。その後、『情報7DAYSニュースキャスター』で齋藤と共演、齋藤はレギュラーコメンテーターとして出演した。
当初、高校時代は姉と同じ教師を志し、教育実習を終えて就職することを希望していた。たまたま大学の掲示板でアナウンサー募集のポスターを見て、「先生とアナウンサーは『一対多のコミュニケーション』という共通の項目があり、先生になるための勉強につながる」と思い、記念受験をしたそうである。TBS(現・東京放送ホールディングス)、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日のアナウンサー試験を受験した。しかし、日本テレビは書類選考で不採用。テレビ朝日は最終選考の前に不合格となった。TBSとフジテレビは一次選考を通過したが、フジテレビは同局の人事部長との連絡が遅れたため不採用となり、最終選考を通過したのはTBSのみであった。1997年4月、TBSにアナウンサーとして入社、伊藤隆太、小倉弘子アナウンサー、他には石丸彰彦(ドラマプロデューサー)、竹内結子などが所属している。2004年10月1日より組織改編によりTBSテレビ、2009年4月1日よりTBSグループに出向、放送持株会社化により同社に自動移籍。
2000年代にはTBS→TBSテレビの看板アナウンサーとして活躍し、オリコンランキング「好きな男性アナウンサーランキング」で、2009年、5週連続1位で殿堂入りした。