日本の特殊撮影技師、監督。第二次世界大戦中、爆撃機のパイロットとして従軍した後、東宝に入社するが、労働組合と対立し、すぐに退社する。円谷英二が映画界からブラックリストに載っていた頃、有川は円谷英二と出会い、彼の個人映画会社へ入社した。円谷が映画界から締め出されていた時期に、有川は円谷英二と出会い、円谷の個人事務所に入り、SFや大怪獣映画などの技法を開発することになる。円谷が東宝に戻ると、有川も東宝に戻った。
1967年の「ゴジラの息子」で、東宝から2人目の「特技監督」の称号を得た。有川は、この作品の民谷に自分を重ね合わせ、円谷のゴジラのような父親像を尊敬していた。1970年の円谷の死後、有川は東宝に残らないことを決意し、『宇宙アメーバ』(1970)を完成させた後に東宝を退社した。
(出典:ゴジラ・シネアスト)