荒巻義郎は、脚本家、映画監督、小説家である。1928年から1934年まで松竹蒲田の脚本家、1934年から1939年まで日活の脚本家として活躍した。また、中国では満洲映畫協會(滿满映畫協會)、通称「満映」で活動した。この会社は中国の共産主義的な映画会社で、日本との協定のもと、1938年から1945年にかけて多くの映画を製作した。
荒巻は、公式には1940年からの2本のスタジオ映画の制作者である。しかし、第二次世界大戦中に多くのテープが失われ、破壊されたことや、中国政府による映画資料室の閉鎖などにより、彼が本当に万英のために2本しか担当していないのか、それとももっと多くの作品を担当しているのか、判断は難しい。