東京府東京市麻布区六本木(現・東京都港区六本木)生まれ。生家には老舗の和菓子屋「青野総本舗」があり、人気商品「うまし」も青野の提案で「楽屋で汚さずに食べられるお菓子」として作られた。
1931年(昭和6年)、慶應義塾大学商学部中退後、劇団「自由舞台」に入り、「どんそう」で初舞台を踏む。その後、家業を継ぐも舞台への情熱を忘れず、1938年(昭和13年)文学座に演劇研究所の第一期生として入所する。卒業後、里村元春の芸名で「ヤングハイデルベルク」「大治学校」などに出演し、文学座の中堅俳優として活躍した。1963年(昭和38年)12月、「喜びの琴」事件をきっかけに三島由紀夫、矢代静一、加原夏子、南芳枝、中村信夫らとともに文学座を退団、翌64年(昭和39年)1月に劇団NLTを結成、主宰を務めた。自宅は青野の死後までNLTの事務所として使われ、妻の死後は青野平八郎記念館として加原が受け継いでいる。
1974年12月8日、肝硬変のため東京都新宿区の社会保険中央総合病院で死去、享年62歳であった。