教師一家に育った。歌と水泳が得意な少年だった。宮城県師範学校卒業後、教職に就く。戦時中は、海兵隊の少年兵教官を務めた。1944年に結婚し、婿養子となり、姓を天童に改める。戦後は教職を離れ、妻の実家である鎌倉の工場を手伝い、水道工事にも携わる。戦後は、戦前とは逆の教育を受けることができないため、教職を退く。 1953年、鎌倉に居を構え、32歳で東宝映画界に新人として入るが、ちょい役ばかりであった。1955年、TBに行き、オーディションに合格し、テレビの夜明けの時代劇に出演するようになる。
1979年7月24日、6月、脳出血と心不全のため、58歳で死去。1981年に欧米で公開された映画「The Bushido Blade」が遺作となる。