金沢医科大学中退後、1950年、太泉撮影所にニューフェイスとして入社。翌年、東映の合併により東映東京撮影所に入り、同年、須野原正寿監督作品『限りなき情熱』の脇役でデビュー。しかし、その後は芽が出ず、1953年に俳優座に入り、演技を学ぶ。1955年、日活と契約し、明智三郎の名で出演。1956年新東宝と入り、明智寿三郎と改名し、時代劇は若手スターとして活躍した。
1961年の新東宝倒産後は、松竹を経てテレビに移り、時代劇や劇映画に多数出演した。
2002年12月14日、前立腺癌のため東京都大田区内の病院で死去。