1982年(昭和57年)、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりロックバンド ” Tokyo Japan ” のドラマーとしてデビューする。代表曲は「摩天楼ブルース」。バンド活動停止後、DJの道を目指し、TBSラジオなどで活動開始。
いくつかの深夜番組を担当する。中でも「FMナイトストリート〜パジャマプレス〜」(JFN 1988年10月〜1994年3月)は、JFNAの「スーパーFMマガジン」として人気を博す。1989年よりTOKYO FMの夕方のワイド番組「TOKYO POP ARENA」を担当。その後、「DANCE SHIP TOKYO」と改題し、3年半担当する。
1992年 ( 平成4年 ) には、「夢はモリモリ」 ( フジテレビ系列 ) にコメンテーターとして出演し、独特の言葉の才能を発揮する。番組冒頭で顔が映らなかったため、視聴者から「顔が見たい」との声が上がった。その後、番組の進行役として出演。
この間(1992年4月〜1993年3月)、テレビ神奈川(TVK)の生放送音楽番組「ファンキートマト’92(’93)」にも番組後半にレギュラーとして出演しています。
1993年(平成5年)4月1日 TOKYO FM系「赤坂泰彦オブミリオンナイツ」スタート、1994年には同番組で第31回ギャラクシー賞を受賞し、成功を収めた。DJパーソナリティ再発明賞受賞。
1995年 ( 平成7年 ) 4月25日、TOKYO FM25周年記念特別番組「赤坂泰彦の東京・ニューヨーク25時間スペシャル」をニューヨークから生中継した。この時、ウルフマン・ジャックとダブルDJを行う。
1998年、長野オリンピックで長野県飯田市の聖火ランナーとして活躍。
赤坂 泰彦 について
関連作品(映画監督)
赤坂 泰彦は以下の映画やドラマを監督しています。
関連作品(映画監督・脚本家)
赤坂 泰彦は以下の映画やドラマの監督・脚本を担当した。
関連作品(脚本家)
赤坂 泰彦 は以下の映画やドラマを執筆しています。
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